ヒューマンリレー第2回 鈴木博明 総料理長
《 私の調理人としての歩み 》
すでにホテル業界に入って40数年近くになりますが、はじまりは高校での 就職案内で岐阜の長良川ホテルからの求人がきっかけで、友人と二人で就職 しました。
洋食希望者は、同期で5人いましたが一年間のウェイター見習いを過ぎると 3人は、遠目で調理の厳しさ・手荒い業務を見て尻込みし、結局は私ともう 1人がコックコートを着ることが出来ました。 しかし、私達の時代は見習いコックといえば鍋洗いは勿論のこと、玉ネギの 皮むき・イモ洗い・ゴミ捨て・掃除が主な仕事で、ソースの裏漉し・コンソメ スープ漉しをやらせて頂けば上等な仕事でした。 休憩時間には、当時ホテルニューオータニから来られた62才の吉成総料理長 とのキャッチボール役を仰せつかり、時には他店までの運転手、朝・昼・晩の 食事の準備等、今から思えば、いずれも良き修行、良き試練であったと懐かしく思い出されます。
現職では、今年名古屋東急ホテルは開業28年を迎え、私で現在六代目の総料理長になりますが、諸先輩が基礎・基本レシピ・人材という財産を残して下さったお陰で、今の私があると思います。 初代高田総料理長は、社交性と面倒見の良い方で、宴席・レストランへいつも顔を出されお客様との会話を大切にされ、日本エスコフィエ協会の理事も務められ私たち東急ホテルズの調理人は、高田総料理長の紹介により入会させて頂きました。 二代目長堀総料理長は、とても厳格で人間ウオッチングに優れ、食材の無駄には特に厳しく、ギャベジ缶をひっくり返してまでもチェックされる方で、逆鱗に触れると降格もありえるほど恐れられた方でした。 三代目長谷川総料理長は、当時のキャピトル東急の副総料理長をされていた方で、温厚で心優しく調理場で私たちに料理の手ほどきすることが好きな、とてもフレンドリーな印象の方でした。 四代目三浦総料理長は、開業当時から副総料理長として歴代総料理長をサポートされていて、私に多大なる影響を与えて下さった方で、青森県出身のとても我慢強く、また繊細な神経を持ち合わせ料理の味・盛り付け・食材さばき方・衛生観念には特に厳しく指導していただき、最も長く総料理長された方でした。
「ミシェル・ロスタン」(パリ)スタッフと
‘93氷彫刻世界大会(北海道・旭川)
五代目堂園総料理長は、現役時代には多くのスタッフが殴られ蹴られ、私もその1人ですが激高すると誰にも止められないほど、料理に対して情熱と愛情をそそがれた方で、その感性の鋭さは歴代ナンバーワンでした、しかし総料理長に就かれてからは、別人のように私たちに優しくアドバイスして下さいました。 総料理長と言っても、様々な人格の方と時代背景もあり、誰が良かったとは一口では言い表せませんが、今まさに私自身がスタッフから見られている思うと姿勢を正して業務に携わらなければならないと強く感じています、それと四文字熟語【不易流行】にあるように、不易とは伝統的に受継いできた変えてはならないことは継承し、流行とは時代の流れを察知して変えなければならないことは勇気をもって変える、この様な想いを常に念頭において行動しています。 最後に、多くの諸先輩の紹介により司厨士協会・愛知県調理師会・日本氷彫刻会に関わることができ、自身の力だけではなく私を支え応援して下さった周りの皆様に、今後も感謝し続けたいと思います。
鈴木 博明事業企画委員長のプロフィール
平成28年8月現在
昭和30年 岐阜県恵那市生まれ
昭和49年 岐阜県立 岩村高等学校 卒業
〃 株式会社 長良川ホテル 入社
昭和55年 株式会社 名古屋ターミナルホテル 入社
昭和62年 株式会社 名古屋東急ホテル 入社
平成19年 総料理長
≪主な役職など≫
・(公社)全日本司厨士協会 東海地方本部事業企画委員長
・NPO法人 日本氷彫刻会 総本部理事 副会長
・NPO法人 日本氷彫刻会 中部氷彫会 会長
・(一社)愛知県調理師会 幹事
・NPO法人 オーギュストエスコフィエ協会 会員
≪表彰歴≫
・平成 元年 冬季氷彫刻世界大会 準優勝
・平成21年 (一社)愛知県調理師会 会長賞
・平成21年 調理師法施工50周年記念愛知全国大会会長表彰
・平成22年 NPO法人 日本氷彫刻会 功績賞
・平成25年 (公社)全日本司厨士協会制定 アカデミー章銀章
≪その他≫
将来の調理師を目指す中学生・高校生に料理や食育について講話をするなど業界の発展に努めている。 また、氷彫刻の選手として各地の大会、東京の全国大会、旭川の世界大会に出場して入賞経験は多数。現在は全日本司厨士協会東海地方本部、愛知県調理師会、日本氷彫刻会の理事・役員として後進の育成にあたっている。